私の自己紹介をしていきたいと思います。
《幼少期》
千葉県松戸市生まれ。松戸市育ち。二人兄弟の次男として育ちました。
2歳の時に常盤平保育所に入学。毎日楽しく過ごしました。
常盤平第三小学校に入学。運動会がすごく好きで小学校4年生から6年生まで3年間、応援団を務め、6年生の時は応援団長を務めました。
《中高生》
小学校では遊びでよく卓球をとしていましたので、中学校でも卓球をやろうと思っていたところ、小学6年生の冬に冬休みアニメフェスタでスラムダンクをやっていました。それをみてバスケットボールがしたくなりました。
また兄がバスケットボールをしていたこともあり、中学校ではバスケットボールをはじめました。
バスケット部での練習はとても厳しいものでしたが、そこで素晴らしい仲間たちと出会い楽しく過ごすことができました。今では当時の厳しい練習やいろんな出来事もすべて笑い話となっています(笑)
東葛地区の中学校では東葛駅伝という大会があります。バスケットボールを引退後、そのための駅伝部のメンバーに召集されることになりました。
駅伝メンバーは陸上部の長距離選手、バスケットボール部、野球部、サッカー部、バレーボール部などの各部活の体力のある生徒が召集されます。
中学校での駅伝は約5ヶ月間でしたが、順調にタイムが延び高校に行っても駅伝を続けようと思うようになりました。
高校に入ってからは陸上部の長距離、駅伝をしました。
千葉県高校駅伝優勝、全国高校駅伝出場を目指していたこともあり、午前、午後練習合わせて1日30㎞ほど走っていました。そのため身体に負担がかかり膝のケガをしてしましいました。
いろんな接骨院や整体院に通いましたが練習を休んでまた練習に復帰すると膝の痛みが再発するのを繰り返して練習ができない日々が続きました。
そんな状況が1年ほど続いたある日、いつも通っていた予約制の整骨院の先生が体調を崩し治療の予約がキャンセルになりました。膝は痛い。でも治療はできません。途方にくれました。
チームメートに相談したところ、ある整骨院を紹介されます。そこでの治療はただ揉みほぐすだけの治療とは違い弱い刺激で身体全体のバランスを調整し根本から治療をしてくれます。治療が終わった後、身体がすごく軽くなったのを覚えています。
そこの整骨院に通うようになってから膝の痛みに不安はありましたが、軽めの練習から少しずつ始めました。駅伝の練習は一日に何十㎞と走るので練習の後半ではどうしても痛みがでてしまいます。必ず治して全力で走れるようになりたいと思いから、練習後週3~4回は整骨院に通いました。
通いはじめて一ヶ月ほどたった頃「あれ痛みがない¡?」練習中と練習後の痛みがなくなりました。
今まで一年間練習を休んで痛みが取れなかったにもかかわらず、今回は一日何十㎞と走って練習しながら痛みが取れてしまったのです。その時本当に驚きました。
正直、私は駅伝を続けている間は膝の痛みと付き合っていくしかないと諦めていたからです。身体は全身のバランスを整えて根本的に治療をすればよくなるということを実感しました。
もしその先生に出会わなければ現役の間は走れずケガをしたまま終えていたでしょう。
《大学時代》
その後大学に進学し、4年間部活動でアメリカンフットボールをしました。
アメフトはコンタクトスポーツのためケガの多いスポーツです。アメフト現役時代も整骨院の先生に何度も助けられました。
《専門学校、修業、そして開業》
大学4年生になった頃、周りが就職活動を始めていた時に整骨院の先生への憧れがあり、治療家になりたいと思うようになりました。他の学生が就職活動をする中、私は大学卒業後、柔道整復師、鍼灸師、按摩マッサージ指圧師の専門学校に通うことになりました。専門学校時代は学校、整骨院での仕事、勉強会、読書と心身ともにハードでしたが充実した毎日を過ごしました。今ではいい思い出です。
整骨院で働くなかで自分の今までの経験や勉強してきたことで患者さんを元気にしたいと思うようになりました。開業するなら地元がいいと、ここ常盤平で開業しました。常盤平は高校生までの18年間過ごした場所なのです。
人生は不思議なものです。高校時代にケガをしたことで、たくさんの素晴らしい方々と出会い、地元常盤平で整骨院を開くことができました。これからも痛みと身体の関連性を探求し、患者さんが元気になることが最大の喜びです。地域の方々に気軽に通って頂ける居心地のよい治療院にしていきますので、常盤平整骨院をこれからどうぞよろしくお願い申し上げます。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。